震災ボランティアのこと 安 海 賢
私たち宮城県民は、1978年の前回の宮城県沖地震から30年99%の確立で地震は来ると覚悟はできていた。しかしこの度のような巨大地震(マグニチュード9.0)~大津波がおこるとは研究者をはじめわたしたちも思いも寄らなかった。
あとで聞きくと1995年(平成7年)阪神・淡路大震災(6.9)の千倍のエネルギー規模だったと。この桁外れの地震・津波そして原発事故は想像を絶するほどの大打撃を東日本に与えた。この国難ともいうべき事態に茫然自失の私たちに日本全国~全世界の皆さんからお見舞いと連帯の励ましをもらった。
久しく忘れかけていた「絆」が一筋の光明となり立ち上がる勇気になった。地震直後から被災地に多くのボランティアが入ってきてくれ復興のきっかけになった。その中で兵庫が県ぐるみで被災地で行ったボランティア活動は特筆に価する。
日本の「ボランティア元年」は阪神淡路大震災である。ボランティアは基本的には自己完結型なので、各人の善意が現地に、被災者に届くためには情報管理の必要性とコーディネーターの存在は不可欠であることを学んだ兵庫県が、いち早く現地に「ボランティア・インフォメーションセンター:4月20日~5月15日」を東北自動車道(泉料金所跡地)に開設した。センターでは、東北各市町の災害ボランティアセンターから随時情報を集め、ボランティアに行く際に必要な最新情報を地元ボランティアと共同でリアルタイムに提供。この試みは全国初で5月のゴールデンウイークに高速自動車道で現地入りするボランティアの1次仕分けの役割を見事に果した。
私たち地元としてできるボランティア参加の方途は様々あるが、賢和会「台所サロン」らしい高齢者が無理なく参加できる方法を模索していた矢先兵庫の活動のことを知り給食ボランティアをさせて欲しいと要望した。センター長はボランティアがボランティアしてもらうことを躊躇われ断られたが、「後方支援」の大切さを力説してようやく承諾してもらった。
ボランティアの主内容はセンターで活動しているボランティアさんに「昼食」を提供することである。活動実績は5月1日~14日までの給食数305食、費用10万円(内全国老人給食協力会から5万円、残りは賢和会とボランティアのカンパ)参加ボランティア延べ103人であった。
献立は兵庫の皆さんの要望を取り入れ地元の食材で、郷土食を基本に手作りで温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、気持ちよく美味しく、和やかにをモットーに宮城伝統の「おもてなし」の気持ちを添えて作った。
兵庫の皆さんからの期待は日に日に大きくなり、大変喜んでもらった。「閉所式」では兵庫県知事より感謝状とボランティアの皆さんから感謝の寄せ書きのプレゼントがあった。
ボランティアのパイオニアである兵庫の皆さんとご縁ができいろいろ勉強させていただいたことは、これからの復興・創生のために役立つノウハウを沢山いただいたことになった。この出会いに感謝しつつ次につながる気持ちを各人共有して無事終ることができた。
(2011.5.30 記)
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